【違国日記】なぜ父親の瞳は描かれないのか
『違国日記』
この父親、実は「瞳」が描かれていないのに気づきましたか?
なぜ目が見えないのか。
なぜ遺影には瞳があるのか。
そこには、朝との関係性や「向き合えなかった感情」が隠されているように感じました。
今回はこの演出が何を意味しているのか、考察していきます。
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なるほどそう考えると腑に落ちました
ありがとうございます
もしかしたら田汲氏は、捨て子だったかもしれません。
親が見つからない場合、新しい戸籍を立て、本籍地は発見された土地の県庁所在地、誕生日は健康診断からの推察になるそうです。
乳児院や施設で育つ事になります。
施設は親に恵まれない子供が、集まりやすい。
現在は18歳で独立ですが、2022年より前は16歳だったそうです。
大人になる事を強制されます。
児童虐待の連鎖を断ち切ろうと、努力した結果が、優しい虐待になってしまった。
やりきれないですね。
あくまで私の推論です。
田汲はじめ(朝父)=孤児説は、葬式での高代の親族の会話の口調からは違うように感じてます。孤児だったら「来ないが当たり前」で、親族の口調は「葬儀に(親含む?)親族も来ないような男」と一緒になった実里(朝母)への非難、「姉妹そろって好きな生き方して」や朝が実里の実子でない噂(これは単なる噂らしい、逆に、はじめの実子でない可能性は残ってる)も含めて、実里とはじめの結婚?に両方の親族から顰蹙をかうような状況があったことを暗に示しているように思えます。
ただ、はじめの生育歴にかなりのネグレクトがあった可能性は高そうで、朝だけでなくて他人との接し方にはかなり難があり、彼には「父親像」そのものが借り物で、「父親」というイベントをこなすのが精一杯だったと想像しています。そうすると、どうやって実里ははじめと出会い、彼と共に暮らす決意をしたのか、極めて不可解です。
あれほど常識的に生きよう、普通に行動しようとしていた朝の母が何故父親と子供が出来るほどの関係になったのか?が不可解でそこがきちんと理解出来ないとこの物語は破綻していると思います。